

●やましろの家を利用して
スタッフのみなさま、大変お世話になりました。
私は福島県いわき市住んでおります。いわき市は原発から非常に近い場所ですが、原発避難者が避難に来た場所であるため安全となっている場所です。
被災者を受け入れるため民間も官もわらわらと新しいアパートや立派な団地を作り少しのバブルに沸いた土地です。
原発の補償が受けられたもの受けられなかったもの恩恵を受けたもの、ただ被曝したものと混沌としていて妬みやひがみで分断したりと落ち着きがありませんでしたが事故後8年がたち原発事故など無かったように穏やかに暮らしています。
もうその話題を口にするのもはばかれるほどです。
食べ物も「いまだに気にしてるの?」なんて言われると 私もだんだんもう年だしいっかとなってしまっています。(うちの山でとれた筍の煮物どうぞと出されたらお断りするのはなかなか・・・)
子供が独立して家におらず、夫婦二人の食事ですので今までよりはだいぶ買い物の時間もかからないのですが(産地や製造工場を調べながらでした)やっぱり福島産は避けてしまいます。
家の庭でとれる大葉やニラ、ミョウガ、ブルーベリーなどは毎年捨てています。
いわき市で住み続ける限り仕方がないなと思います。
ですから距離的に遠い今回のこの保養に来ることができて大変のんびり過ごすことができました。
産地を気にしての買い物も気にしなくてもよいし、観光も保養の家は京都ですが奈良のほうが近いので奈良公園、東大寺と回ってきました。京都ほど観光客がいないのでじっくりみてまわれましたよ。
また、今回の保養で夕立が何度かありましたが、雨に濡れても放射性物質を気にしなくてもよいので本当に気が楽でした。
近くのスーパーや郵便局も電動自転車で10分くらいでした(車があまり通りませんので久しぶりの自転車も大丈夫でした)のでバスがなくても何とかなりました。
保養の家は安全な場所なのでリラックスしてリフレッシュできました。
今回このように保養できるのは、実現に向けて奔走してくださった方々、その思いに協力してくださった大勢の方々のおかげです。係わった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
利用して思ったのは、多くの人にこの素晴らしい試みを知ってもらいたい、利用してもらいたいということです。私も地元で宣伝をします。
私の保養中も大阪市がトリチウム水の大阪湾放出に協力したいと言ったりしています。
原発事故は現在進行形で毎日毎日日々汚染が積み重なっています。
まだまだ保養は必要だと思います。
通年を通して利用できるこの保養の家のような施設はなかなかなく、保養が必要な私たちには大変ありがたいです。
どうかこの試みが長く続いていきますようにと願っております。来年も再来年もまた利用したいです。
福島県 T

ご支援いただく皆さまのおかげで、8月1家族に1週間保養していただくことができました。9月には、いわき市から2週間保養していただくTさんを雷豪雨の中、駅までお迎えしたところです。(保養の家は少し?不便ですので。)
スタッフとの交流も希望していただきましたので、夕食交流会を行いました。
(アルコールもいただき、ほぼ割り勘?で楽しいひと時の本音交流です)
Tさんは、沖縄へ避難の後、北海道に再避難され、いわき市に戻られたとのことです。
沖縄の後、知人のいる京都への避難も希望されたようですが、京都では2回目の避難は扱っていなかったようです。
やましろの家スタッフのお子さんが「福島」について調査されているとのことで同席され、保養者や支援者にも色々と質問され、いっそう有意義なひと時となりました。
交流会参加のスタッフ(大人5名)も、素直なお子さんの質問に応え、避難者支援へのかかわりのきっかけ等について語りました。
「チェルノブイリ原発事故以前から原発の不当性を訴えている」とか、「阪神淡路大震災で初めてボランティアの意義を実感した」とか、ボランティアで支援しているスタッフ同士の良い交流にもなりました。
保養スタッフにとって、保養者との交流は明日への活力にもなるものです。
みなさま、引き続きご支援をよろしくお願いします。


